みかん

 

閑話休題 私の学童期 声掛けの大切さについて

 

 

「神山君は算数の天才だな!」

これは、私が小学4年生の時に担任の先生にかけられた言葉です。

黒板で、計算問題を解き切り、正解にしたときに掛けられた言葉です。

今でも、鮮明に思い出せます。

成績が中の下であった私にとっては、まさに天から降りてきたような魔法の言葉でした。

以来、私は暗示にかけられたが如く、自分のことを算数の天才と思い始めました。

計算問題をやれば、誰よりも早く解ける気がしました。

 

しかし、所詮、中の下の成績です。

私よりも早く解ける友達は山ほどいました。

それが現実でした。

 

“天才が、速さで負けるのはどうもおかしい!?”そう思った私は、家に帰ると、ひたすら狂ったように計算問題を行いました。

特に教育に力を入れている家庭ではありませんでした。

なので、問題集と言えるものは1冊しかありませんでした。

その一冊しかない問題集を何度も何度もボロボロになるまで、計算問題を解き続けましたました。

夏休みも、例年なら宿題以外のことはやらないのですが、“天才ってそんなもんじゃないだろ”という気がしたので、午前中の3時間はひたすら計算問題のみならず、教科書に登場する全ての算数の問題を解いていました。

 

誰にも教わりませんでした。

“天才が誰かから教わる”、そんな図はおかしいと子ども心に思ったたからです。

更に、その時の文章題の解き方が、今考えると実にばかげた方法によるものでした。

1回読んでわからない時は2回読む。それでもわからなければ3回読む。

そんな単純極まりない解き方でした。

方法論がゼロだったので、「読む」しかなかったのです。

4回目になると、鉛筆でアンダーラインを引きながら読みました。

不思議なのですが、4,5回読むと解けるようになりました。

“天才なのだからわかるはずだ”と思い、教科書に何度も何度も線を引きながら、読み込む学習方法を、来る日も来る日も続けました。

続けた結果、どんな問題でも、泥臭い方法を駆使して正解を導き出せるようになりました。

 

そんな私の姿を見て、母親が塾に入れてくれました。

びっくりしました。

塾の問題集には、教科書とは明らかに違う問題がたくさんありました。

与えられた問題集は、いくら読み込んでもわかりませんでした。

塾では、今でいうお客さん状態だったと思います。

ただ、教室にいるだけでした。

 

しかし、それでも“ぼくは算数の天才だからきっと何とかなる”と思い通い続けました。

すると、ある日、問題の解き方を先生は教えてくれていることに気が付きました。

わからない問題も、答え合わせの時に、先生が解き方を教えてくれているという実に当たり前のことに気がついたのです。

その解き方をメモしまくって、家に帰り自室で繰り返し繰り返しノートに書いてみました。

同じことを何度も何度も書いていると、理由はよくわからないけれど、あれほど難しかった問題集が解けるようになりました。

 

そのころの私には、国語や理科、社会はどうでもよいものにうつっていました。

そして、ひたすら、ただひたすら、算数だけを行う日々が続きました。

 

中学に上がると、算数という科目は数学という名のものになっていました。

その頃になると、学校はもとより塾でも、数学に関しては一目置かれるようになりました。

小学校の時に、はるか彼方に仰ぎ見ていた秀才と目される連中が、私に数学の解き方を聞きに来るのです。

 

しかし、このあたりからです。

気が付くと、何か底知れぬ嫌な感触、不安感を度々味わうようになっていました。

そして、その感覚が恒常化していくまでに、大した時間は要しませんでした。

やがて、私は常に二つの嫌な感覚に捉われながら日々の生活を送るようになっていきました。

 

一つ目の嫌な感覚は、“聞かれたことに確実に答えを出さなければならない”という、かつて味わったことのないプレッシャーと言われるものでした。

そのプレッシャーから解放されたいがために、ついに私は小学校の時のやり方を手放さざるを得なくなってしまいました。

“読み込み、かき続け、試行錯誤する”という泥臭い方法をです。

代わりに、「公式」という便利なものに頼るようになったのです。

答え続けことを維持するためには、公式に頼らざるを得なかったのです。

すると、“この問題は?どの公式を使うべきか?”ばかりを考えるようになりました。

 

ここから先は二つ目の嫌な感覚です。

公式に頼るようになってから、“僕は、もしかしたら天才でも何でもないのでは?”という考えが頭をもたげ始めたのです。

友達に質問されるうちに、その質問自体に、その質問の質に、その友達の持つ数学的センスに気づかされ、そして圧倒されていったのです。

“あー、とっくに抜かれている”

そして、

“もう、追いつけない”

そう思い始めました。

 

その頃からでした。あれほど気にも留めていなかった国語の授業が楽しくなってきたのです。

そして、徐々にがむしゃらに行っていた家での数学の勉強時間は日に日に減っていきました。

ついに、数学の参考書や問題集は開かれなくなり、代わりに私の手の中にいつも小説が収まるようになっていきました。

 

あの日のことは、今もって忘れることができません。

本の色や形、重みといった装丁の隅々までもが思い出される1冊、武者小路実篤の「友情」を読んだときのことです。

“凄い!凄すぎる!武者小路、凄すぎる! こんな文章を書く人が世の中にいるんだ!”

そう思った瞬間でした、“神山は算数の天才だな”という魔法の言葉の効力がついに解けてしまいました。

文系って言葉があるらしい。

そう気づいた中学3年生になりたての頃のことでした。

 

それにしても足掛け6年、私は魔法にかかっていたのです。

今思うと実にありがたい魔法でした。

継続することや自学自習の精神を身につけさせてくれたのですから。

おそらく、先生は私のことを天才だなんて思っていなかったはずです。

 

そりゃあそうです。

当たり前です。

成績中の下の人間が、何でもない簡単な計算問題を黒板で解いただけなのですから。

何事にも自信の持てない私を勇気づけるために、何気なくポンと出た言葉だったのでしょう。

 

でも、今思うと、その声掛けこそが始まりでした。

そして、その後さまざまな声掛けをしてもらい私という人間の人格が形成されていきました。

声掛けは、時に暗示(私にとっては啓示でした)となり、人生を大きく変えていくようです。

掛けられた相手に大きな影響を与えることもできるようです。

 

 

今でも、小学校4年生の板書している時の自分の姿がありありと目に浮かびます。

あれから40年が過ぎました。

 

いつの間にか、声をかけられる方ではなく、声をかける方の立場になりました。

 

朝、起きて、教室に向かう途中で、その日出会う子どもたちの姿を思い浮かべます。

そして、考えます。

“さあ、今日は誰に魔法の言葉をかけようか!”

できるだけ、どんな困難や挫折も乗り越えていけるような、そんな力が宿る魔法の言葉をかけ続けていきたい、そんな風に思っています。

そして何よりも、もしも、悲しみの中にいる子がいたら、心の芯から暖まるようなそんな言葉をかけていきたいです。

 

 

 

 

 

今日は、私の思い出話でした。

ちょっと思うところがあって書かせていただきました。

「こんな忙しいときに、変なもん読ませるなよ」

皆さま、そう思ったかもしれませんね。

なので、また、次回からは、受験の役に立つものを、どんどんアップしていきます。

期待していてください。            神山眞

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