優しい先生との出会いはshould で、厳しい先生との出会いがmustな理由

 

幼稚園のとき、年長の優しい先生に
目一杯優しくしてもらい、穏やかさや
あたたかさを身につけることができました

 

小学校の校長先生からは
その毅然とした態度(佇まい)から
規律の大切さを学び取ることができました

 

中学時は、通っていた塾の先生から
競い合うこと、切磋琢磨することによって
集中力を高めていくことを教えてもらいました

 

高校は…
私服OKで、朝の学活も、掃除の時間もない
そんな学校だったから、自由を謳歌できるはず
そのように思っていました

 

現実は、真逆でした
理不尽さが、まかり通ってしまう程の強引さに
厳しさと、怖さをプラスした
先生に出会ってしまったからです

 

発言を求められた際に
わからず黙っていると
「おまえは、声も出ないのか!」
みんなの前で罵倒されました

 

仕方なく、振り絞るように声を出すと
「どうした神山!おまえ、声が震えているじゃないか!」
やはり、みんなの前で、嘲笑われました

 

このように書くと
“ひどい先生ですね”
そう言われそうですが

 

いいえ、違います!!
「この先生こそが、今の私を作ってくれた」
そう言い切れるくらい感謝しています

 

世の中や社会、そして現実は
少なからず“無菌室”
なんかではありません

 

仮にそれが理不尽なことであったとしても
ときに、厳しさを受け止めなければいけない時があります
ときに、耐える必要がある時があります
ときに、やり抜かなければならない時があります

 

高校生の時は
いやでいやでしょうがなかったけれど
その先生と、ほとんど毎日対峙することによって

 

いつの間にか私には
それまでの私には欠けていた
「耐性」、「やり抜く力」が養われていきました

 

それらの力が、ビックリするくらい
社会に出てから、今日まで
役に立ったことは言うもでもありません

 

明るい先生、優しい先生
穏やかな先生、面白い先生
これらの先生が素晴らしいことは言うまでもありません

 

ですが、学童期を経て
青年期を迎えたころには
厳しい先生に出会うことが必要です

 

あくまでも私の経験則からではありますが、幼児期には、優しく包んでくれる先生と出会う必要があり

 

そこから先の学童期や青年期には、厳しさを教えてくれる先生と出会う必要があるような気がします。

 

成長に応じて、必要な人や出会うべき人は変わるのかもしれませんね!!

 

 

感謝の意を込めまして 神山眞

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