サインを出せる状態は、正常な状態
風邪をひいた時に、子どもが「熱」をだす。
熱が出たから、「異変」に気付くことができ、
それ以上悪化させないようにと、「配慮」できます。
足の骨を折った時に、「痛み」を訴える。
訴えてくれたから、「異変」に気付くことができ、
直すための「手段」へと、移行することができます。
子どもの異変は、「異変」を「異変」として、「症状(サイン)」に出すことで、解決へと至ります。
だから、熱が出ることも、痛みを訴えることも、だれも“悪=悪いもの”とはとらえません。
よかった!!大事に至らなかった!!教えてくれてありがとう!!
となります。
「おいおい!!風邪ひいたくらいで、熱なんて出すんじゃないよ!!」
とか
「骨折れたくらいで、痛い顔するんじゃないよ!!」
なんて親はいないわけです。
ところが、子どもが、「わがまま」を言ったり、
「言うことを聞かなかった」り、
「反抗的な態度」をとったりすると
大人である我々は、それらの“異変”に関しては、
「出してはならぬ」もの
「表現してはいけない」もの
と、捉えすぎてしまうことがあります。
そうなのです。
身体の異変を訴えることには、感謝できても、
「心」や「態度」の異変(サイン)には、許しがたい思いが募ってしまうのです。
だから
「なんで、うちの子は、いつまでたっても…」
「どうして、みんなできるのに、うちの子だけが…」
「いい加減、ちゃんとして!!」
なんて思ってしまうのです。
でも、ちょっと待ってください!!
時には、
「心」や「態度」の異変を、肉体同様に、「子どもからのサイン」として受け取ってみてはいかがでしょうか?
□態度は良くない…でも、何か、満たされないことがあるのかな?
□わがままが過ぎる…でも、私のしかり方、ここのところ…そういえば…
□反抗的だ…でも、自分で何かを決めてみたいのかも…
肉体のサインと違い、ストレートに伝わることが滅多にないのが「心」や「態度」のサインです。
だからこそ、なおさら、「もしかしたら…」の考えに至る必要がありそうです。
サインを出すことの出来ない子どもは、かわいそうです。
□いつも我慢
□どこでも我慢
□我慢の次にすることは、やっぱり我慢
もちろん、我慢することは大事です。
でも、「悲しい気持ち」、「つらい気持ち」、「寂しい気持ち」ばかりを、
いつも我慢し、内にとどめ、溜め続けてしまうと…
それはそれで、その後の「学童期」や「青年期」が心配になってしまいます。
だから、サインに気づき、サインを受け止め、
できることなら、サインに感謝しましょう
「よかった!!サインを出してくれて」って!!
その上で、
良くない態度、わがまま、反抗などを改める方法を考えてはいかがでしょうか?
その方法、手段が、
「激しく叱る」の時もあるし、
「時に、激しく大声を張り上げる」の時もあるかもしれません。
「ちょっと様子を見る」こともあるでしょうし
「一度思う存分に甘えさせる」になることもあるでしょう。
なんだ、結局いつもと同じじゃない!!
皆さんは、そう、思ったのではないでしょうか?
そうです!!
皆さんがとる、最終的な方法や手段は、いつもと同じでいいんです。
でも、子どもは違います。
子どもにとっては、サインを受け止めてくれたか、くれなかったが重要なのです。
【今日のまとめ】
肉体のサインも、心や態度のサインも、まずは、出してくれたことに感謝!!
がっちり、いったん、受け止める!!
そこから、解決への方法へ!!
「言うは易し、行うは難し」です。
提案した、私も、できていません。
取り組むべき「命題」となっています。
神山眞
いよいよ、明日、「オールインワン180 ステップ2」の日程発表!!